オーストラリア戦争記念館の豪日研究プロジェクト ミルン湾は東部ニューギニアの南東部に位置し、険しい地形と高い降雨量によって、マラリアが蔓延する湿地帯が広がっている。ラビはこの湾内にある。ここは日本軍と連合軍双方にとって戦略的重要性を持ち、基地の確保を双方とも渇望していた。
戦争の人間像
ラビ作戦
1942年6月よりオーストラリア軍に守られて、アメリカ軍が飛行場建設を開始し、8月下旬には9000人の連合軍兵士が配備されていた。日本軍は8月上旬より空襲開始し、8月25日には第一陣として約1000人以上の兵士がラビへの夜間上陸を成功させた。しかしこの地域の地形の厳しさは、攻撃目標であった飛行場への日本軍の進行を妨げ、次第に連合軍によって東へと押されていった。とうとう9月5日には完全撤退の決定が下され、全勢力2000名中3分の2が夜間海路を使って撤退したが、残りは戦死かブナへの陸路帰還中に死亡した。一方、連合軍側の被害はずっとすくなかった。日本軍の作戦は、優勢でかつ堅固な守備を誇る連合軍の前に完全に失敗した。
戦略的重要性が高いミルン湾の飛行場を日本軍が確保できなかったことは、その後の作戦展開に大きな影響をあたえ、日本軍にとっても連合軍にとっても、ニューギニア作戦の実質的な転機となったのである。
Printed on 02/22/2025 02:40:10 PM