感傷 四月二十九日
物淋しい何と感傷的の事だろう
ふとした事に遂物悲しくなる
ああ戦場の常か
我の半生を思うとき余りにも
芽つまれた人生故に情けなくなる
信念が何だ
強くなろうとして努力して来た
それなのに何故かしら弱い
哀愁の念が去り難いのだ
運命とあきらめられぬこの身
どうして生きて行こうか
心命を大君に捧げて来た
この異郷に男として女々しい
未練がましいのか知れぬ
苦悶の人生今頂き生も死も
紙一重唯神の知るのみ
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山の美
頂が点々と見える白い雲の上に
或る神秘の世界の様に思われる
連山の風影だ
あの山もあの山もみんな踏破して
来たと思うと足の威大さに
自驚する 高度にしたら差程
高くはなけども相当に急な
坂の上り下りを思い初秋の様に
芒の穂なびく高原を歩く
五月だ 異郷にありて五月は
秋なのかも知れぬ
ばななも食べた パパイヤも
辛苦の山の行軍を味い見て
故郷の山が懐かしい
山々の美 登る辛苦の末にみる
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糧秣輸送
高原の雨が晴れた
背の高い芒が風に揺れて動く
秋だ 吹き来る涼風に腹一杯大気を
吸えば辛苦の山路が非常に
意義あった様に思える
明石の高原に行ってみたいと念願
して其の実現の様に心澄む
遠く近く浮ぶ連山に緩やかに
白い雲が流れて綿絵のようだ
山又山 谷又谷の荊の道
この先々の路を思うと本当の
山の真に触れた様になる
後から 後からと上り来る兵隊
任務は重し
今日で三昼夜 山の旅も今
五日ある 山好きな故郷の友に
みせてやりたいこの山影だ
二十分の小休止も非常に
元気ついて出発
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土人
早口に分かりかねる言葉を言う
兵隊さんもその言葉を知らんとして
一生懸命だ
ああ そうか 交換に来たんだ
小さな網の袋にバナナとパパイヤを
二十ばかり入れて兵隊の物と
取りかえに来た彼等
腰にだけは一物をまとえど 外は
何もない裸体 原始の生活だ
二十銭の金を出してバナナを二本とる
これがニューギニア最初のバナナの味
非常に甘い 大きさも自分の腕位
いや それ以上ある
全く大きい 夢にはこんな物が
好き程食べられると思って
来たのに それどころかやっと二本
でも現地に来てバナナを食う
楽しみを初めて味ふ
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土人(どじん) 五月四日
本当(ほんとう)に裸(はだか)の土人(どじん)をみた時おやと
思(おも)った何(なに)もせず
大(おお)きいのをぶらぶらして頭(あたま)に鶏(にわとり)の
羽(はね)をさして意(い)気(き)揚(よう)々(よう)たり
これ見(み)よとばかりの風(ふう)には驚(おどろ)く
目(もく)的(てき)地(ち)に着(つ)いた夕(ゆう)方(がた) 守(しゅ)備(び)隊(たい)の
兵(へい)舎(しゃ)に体(からだ)を休(やす)めていると土(ど)人(じん)が
四(し) 五(ご)十(じゅう)人(にん)どやどやと裸(はだか)で来(き)た
大(おお)きな網(あみ) 又(また) 藩(ばん)刀(とう)の様(よう)なのをもち
二(に) 三(さん)人(にん)は十(じゅう)字(じ)架(か)を胸(むね)に下(さ)げて
然(しか)もその半(はん)分(ぶん)が丸(まる)はだか 兵(へい)隊(たい)も
珍(めずら)しくてみていると彼らも兵隊を
珍しくてみている
家(いえ)の廻(まわ)りを二(に)度(ど)程(ほど)廻(まわ)って
がやがやと出(で)て行(い)った
前(まえ)に居(い)た兵(へい)隊(たい)に聞(き)いたら
兵(へい)隊(たい)を見(み)に来(き)たのだと言(い)う
土(ど)人(じん)と比(ひ)したら兵(へい)隊(たい)も変(へん)だから
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珍しいのかも知れない
バナナを求めたら山の中にはある
然し現在はないと言う様だった
言葉をもう少し分かる様になりたい
子供達も支那人に比したら
明るい 陰気の点が少しもなく
神の子の様に純情だ
兵隊には或る一種に見られるのか
恐がりもせぬが余り日がないため
なつかない
大人は偉い人を良く知っていて
兵隊より将校に品物を呉れる
土人も中々知っているなあ
誰もがこんな事を言う
見かけは非常におそろしいと
思った土人がやさしく
純情なのには心うれしい
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月 五月二十二日
月光が椰子の梢に輝く
白い光にぬれる静かな中に
月光が白く椰子の梢に照り
輝いて美しい 虫がなく
まるで手に取る様にきこえる
本当に静かな 静かな晩だ
丸い月をみていると故郷の
秋をみている様に何となく
センチ的になる
南国の夜は確かに秋だ
芒がなびく 虫がなく
名も分からぬ夜鳥の渡る羽音も
何故かしら胸にしみる様だ
故郷を発って半年
この戦線に生きているのが不思議の様だ
こんな晩には独りで淋しく
河堤を散歩した夜を思い出す
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◎
月光
秋草のなびきて静けし戦場に
夜鳥なきて月光白し
◎ だらだら雨
五月雨天幕の中にもりつづき
土人の家をうらめしく思う
◎忘愁
月照るど想いとどかじ戦線の
故郷の堤思い出づる夜
◎ 南方の四季
朝は春 昼は真夏で夜は秋か
南国の四季日毎ありける
求めたる人も知らずに今日も又
:りねの空に夢みる君を
◎君への詩
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しばらくになりますね
今頃は僕の事を忘れている
だろうと思う位です
あれからすぐ再び應召して
ずっと不通ですね
悪しからず 其の後如何ですか
みんな元気で居る事でしょうね
お子さんは学校に行きますか
年も忘れてしまいます
現地は南国の果にて本当の藩地です
住む人も稀で極少数の土人より
外居ません
椰子もバナナも案外に少なく南国の
名物は山とジャングル位です
珍しいと言えば珍しく ないと言えば
何一つない生活です
幸に元気で奮斗して居りますれば
皆様によろしく
栄治様 芳一
< 99 >
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定めなき日の夜もすがら
小雨降る降る南国に
椰子の梢にジャングルに
小糸のように雨が降る
土人の造ったこの家に
軒からみえる大空を
ながめて今日も一人事
北支の空がなつかしい
椰子の梢に露光り
月光白し南海の
夜を守るか友軍機
爆音かすか夜は静か
< 100 >
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碧空の残月淡く暁の
爆音しげし南の基地に
送り来し病の友はひたすらに
戦友によろしく別れを惜しむ
豚取りて戦友の食膳
賑わんと雨降る中を今日も
出で立つ
対空の監守に立てる兵長は
雄々しく立ちぬ戦友にかわりて
恐れねど病重なり頭痛む
鉢巻しつつ作業をつづく
五月二十五日
< 101 >
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一般に元気なし何故上の注意にも
かかわらず士気低きや
作業の無理か 栄養の不足か
否々面白くないのだ 元より
軍隊は面白い所でない 然れども
余りにも張合いのない現況だ
不平不満なき事が兵の本分
人としたら何の価値なき人が
上官なる故に威張る
組織の上からして全く矛盾
した事が当然とされる所に
軍隊の社会ばなれした
所がある
戦線の夕日はあかし山上に
白雲立ちて蜻蛉とびかう
< 102 >
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戦友
遠征の想出はるか
いさおしを
秘めて戦友の門出
かざらん
作業
建設の銃音
山野ゆるがして
平和に還る
戦鎮まる
爆音の止めて
黄昏る南基地
< 103 >
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基地
爆音のやみて基地空
星光る
日焼け
直射光日焼けの勇士
腕を撫す
作業
激労を軍歌に包み
兵還る
作業
一條の忠誠こぞり
厳を破す
愚作
五月二十七日
< 104 >
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日記 五月二十七日
月光が輝いていたのにさらさらと
小雨が降っていた。
爆音がするのに目覺む ああ夜明けだ
悪くない身体具合のためか
夜も眠れる様になったと安心する
中支のマラリヤに比して悪性とは
言いながらこの分だと全快早し
戦友が皆んな作業に出た後
久しぶりで兵器の手入れ
兵隊さんは何時迄も駄目だ
中隊長も入院
この頃の患者意外に多し
故郷の青葉の候を思うと
現地の気候はむしろ下り坂
幕舎も雨もりして雨期は
一番いやな時
故郷の便りが欲しい 誰もの
聲である 思い出して友に二通
手紙をかく 完
< 105 >
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秋訪
南の空にきらきらと輝く星は
懐かしき十字の光燦然として
君住む国は天然の恵み豊かに
海辺まで緑に包む地平線
椰子の梢の揺るる今日
波音あらき月の宵
想いとどかじ君の背に
祈る武運を誰が知る
独り淋しい砂浜に
君住む島の果てまでも
つづく海原かもめなら
とんで行きたい南国へ
< 106 >
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椰子の梢がさらさら揺れて居る
秋だ 遂近日まで夏で急に
訪れた中秋の様に涼しい
落葉の音も一抹の哀愁こぞり
南国の秋は何かしら感傷的だ
掘立小屋のこの兵舎できれいに
輝く星を見る 又暁の静けさを
破る爆音も裏の草むらに
なく虫の音も部や内でする様だ
虫がなく故郷の堤にきいた
懐かしい鈴虫が訪れ来て
昔の嬉しい歌をきかす様に
野鳥の鳴く音も急に
忙しくなった様に思う
故国の夏へと向うに比し
南回帰のこの島は秋へと
走り行く様だ
< 107 >
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秋
かさかさと落葉ゆらぎて秋深し
空碧きて蜻蛉高き秋の暮
月影に立てる歩哨に虫ぞなく
常夏に一夜訪る秋の声
雨
五月雨の晴れま嬉や蝉のこえ
夜毎降るスコールにくし天幕小屋
雨漏りに兵隊みんな丸くなり
雑詠
退院の戦友元気なり話もて
交代の友還り来ぬ雨やどに
病院の生活談も耳をかし
又来たか敵機は高しうわの空
爆弾の洗礼人を大きくし
うるさいと夜襲の敵に一ね入り
< 108 >
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無題 六月一日
『俺の家に来て宿んか』そんな馬鹿な
もう俺の家にとまる事なんだから
親友二人は今宵最後の別れを
共に惜しんで二人共家にとめんと
して呉れる
一人の友の小島君は実家であり
一人の友落合繁氏は間借り人
だけど友達としてその立入り浅きに
気が合うと言うか出征を心から
御苦労に思って呉れる
『小島君は 母もね心配しているんだ
陰気が悪い 葬儀屋に宿る
なんて兵隊さんの出征には死を
招く様だと だから俺の所に来い」
落合君の小用に行きし後
言って呉れた
本当に有難い友と母さんだ
落合君は最後の別れになる
< 109 >
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かも知れぬ一夜を共に添寝せんと
::ご馳走を作りたり 別れに
ふさわしい品々を準備して待って
いた。自分としても一寸迷わざるを
得ぬ立場になったその時
死が何だ男の約束だ例えこのために
別れになっても友情に対して背く
べからずと悟る事が出来た
児島君 母さんに有難うと言ってくれ
俺はそんな縁起を何とも思わん
一度しか死ねぬ人生だ 兵隊でこそ
立派な戦死だと一人の方をことわる
朝早く目覺めて故郷を発つに
際し餅を好きだけ食べ
別れて来た出征当時の事を
懐かしく思い浮べて興成丸の
遭難当時の不吉の夢をしみじみと
思い 友の情けうれしく
異郷に友の幸福を祈る
< 110 >
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出征の夢路はるかに
親友の情うれしく思い出づ
友の便りは着きねども
無事で暮らせと幸祈る
遠い海こえ山こえて
祖国を守る戦線に
故郷の友を思い出づ
別れの夜半の懐かしさ
想いとどかじ南国の
夜毎小雨の降る浜辺
あらなみ高き大洋の
彼方に夢む地平線
白いかもめに送られて
祖国の波止場船出した
去年の夏の今頃を
うれしくしのぶ戦線に
< 111 >
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六月二日
万天下の星が美しく輝いて
静かな晩だった ね苦しい床の中に
うとうととまどろむ故郷の夢
南国の星はきれいだなあ 北支の空の
様だと思う 今日も夜中に
爆音がする 喇叭がなった
又空襲かと思っていると頭上を
通過して行ってしまった
安心して眠ろうとした頃
二・三機案外低空して来た
来たな 誰もの感ずる瞬間
弾丸の落下するいみょうな音がした
椰子の梢をかすめる如く思われた
とたんに があーん があーん と
連続約十発 宿舎南方
二百米付近に落下す
敵も中々やるわい 夜は敵の
なすまま寝床に送る空襲
< 112 >
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感情(生水事件)六・五
主義に合せざる故に人を解かず
何を以って之に報えん
皇軍の道義を解く上官に於て
然らずや
憲兵本然の軍に於て表裏を
以て人心を買わん事を善と
為す如き果して信頼に足るべきや
然らず否だ
唯軍は天皇親卒の元にあり
上官なるが故に従すと言えど
甚だ哀れなり
一意専心上官を信頼して行く
べき兵隊さんにありてこれに値せざる
為に不幸あり
如何に感情の動物とは言え
個人の感情に於て左右する如き
果たして忠なりやとうたがわざるを
得(え)ぬなり
< 113 >
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故郷を遠くはなれて生死を共に
誓う戦場に於ておや
軍の本義を知るが故に黙々として
動ずるも心服は及ざるべき
一旦地をはぎたる時彼の人格更に
有るべき我は今考するに
皇道に恥ぢざれば断じて
心安なり
信念強かれと祈る
勝てば官軍 負ければ賊軍
泣く子と地頭に勝たられぬ
無理も通れば道理ひっこむ
善處せよ 男子なり
怒は悪人足るべからず
唯この事によりて信念に
隙を生ずる勿れ
< 114 >
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想出 六月五日
昭和十七年七月五日 富士登山の感想を
ニューギニア戦線の某地にて
追憶しつつ 記す
山で疲れるからと車中で転寝して
いた 急の雑音に目覺めたら客は
どやどやと降り始めている
目的地に着いたのだ 吉田驛の
ホームを出ると急に涼しくなる
山に来たのだ 広場前の茶屋
富士見やにて登山準備
一行十二名 休日利用の楽しい
旅行である 登山杖もみんな同じ
様なのを幾本もみて求め
わらじを買う人 雨笠を求める人
気の早い組は土産を物色する
でも大方一時迄に完了
登山に向ふ
< 115 >
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若い者同志の事まして真夜中
どっちだどっちだ 大勢行く方が
そうだろうでおかまいなしの元気
さすがは名勝の地だけに夜中でも
茶屋は起きていた 然しどの店も
がらんとして商品だけが雑然たり
浅間神社に参拝 お礼を求む
杖に刻印をする これは登山には
落伍しない占いとか
この上には水もないとの事故充分
呑んだり水筒に入れる
用意の辨当をほどいて食す
腹も出来たとばかり元気旺盛
神社の裏で自動車にのる
定員二十五名の中に五十人もつめて
まるですし詰めこの車は新案
手ばなしでもころびません なんて誰か
言ったもんだから一度に賑やかになる
女の人は笑いきれぬ位だ
娘さんはうれしいやら悲しいやら
< 116 >
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一の茶屋で下りて歩く
余りぎっしりで足がしびれた為か
歩きだしにふらふら
渡辺君がおどけて六根清浄を
となえたので東京の娘さん
まあ ひょうきんだ事と大笑い
山を始めての連中故空元気
歩き方も非常に早し
山は雑木が繁りて暗し
日本一の山だけに道は立派だ
二の茶屋をすぎる頃高山植物が
ぼつぼつ
卯の花が白く道端に咲き香る
始め一緒だった女の人達も何時か
はぐれて見えざり
夜も白々と明け始めたり
背の木で雷鳥がないている
馬返しをすぎてどうやら山らしく
急坂となる
< 117 >
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見晴しの好い所で朝飯
木の根、岩の根に腰かけて包を
ほどく。皆んなのを取りかえて食す
通る人達も笑い乍らお早うを
かわす。娘さんには「どうですか」
なんて出すもんだから大笑い
まだ二合目で さあこれからと
リーダー格班長小林さんの言に
出発する 先頭は兵隊還りの
稲橋 落合 鶴見と僕
先に歩いては後の者を元気づく
どんどん先の人を追いこすもんだ
から 若い者は達者だねーと
羨ましそう
三合目の上で御来光 松の間合に
さし昇る陽光に おお
思わずもらす感歎
山の陽の出は格別なり
< 118 >
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五合目で杖に刻印す
富士北口五合目と焼印押して
上る この上は全然草木なき見晴
ここで一行記念写真を撮る
頂に雪白き富士を背影に
二列に並ぶ 誰も乍らすまして
おかしい
思い思いに撮る人々ありてさあ
これより岩道の入る
昨夜上り志客人がぼつぼつ
降り来る人あり お早うの
変りに御苦労さんをかわす
何時間で行けますか
まあ五時間ですね
すぐ頭上に見えて五時間とは
意外に思へど馴れぬ山路
少し行った所で電柱工事を
施しつつあり
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火山灰の急坂をのぼりて
頂上に着きしは正午近志
七月五日地上に於ては暑さ烈しきに
毛糸の下着を着てまだ寒し
土産物を商う店の前に日向
何のみえもなくごろごろと
うたたねしたり
途中で合いし子供がのぼって来た
子供でさえこの頂上を征服す
意思の強さに感す
頂上で噴火口をみる死火山
< 120 >
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