オーエン・スタンレー山脈を越えてのポートモレスビー攻撃の準備をしていた南海支隊の兵士たちの士気は高かった。支隊は1941年11月下旬に四国を出発して以来、非常に輝かしい戦果をあげていた。1941年12月10日のグアム島攻撃とその後の占領は問題なく完了し、1942年1月22日のラバウル上陸も日本軍側は大きな被害を受けずに成功した。太平洋戦争開始以来、南海支隊は短期間のうちにめざましい勝利をおさめ、向かうところ敵無しという気持ちになっていたのだった。
しかし日本軍将兵の一部は、東部ニューギニアで戦おうとしているオーストラリア兵たちを討ち負かすのはそう簡単ではないことを知っていた。補給物資や兵器や弾薬などの戦闘目的の物資面で、自軍と連合軍には大きな違いがあることを認めていた。さらに戦闘では、オーストラリア兵が手ごわい敵であることを知っていた。特にココダにおいて、支隊の先遣隊がオーストラリア軍の強固な防御に遭遇した結果、「オーストラリア軍の歩兵たちは闘志満々である」という注意が支隊本部にあたえられた。さらにアメリカ兵と比べても、オーストラリア兵の闘志は強く、また射撃能力や身を隠しながらの手榴弾攻撃の能力も高いと考えられていた。
しかし闘志に関しては、日本軍は連合軍兵士よりもずっと優れていると考え、精神力が物質力での明らかな不利を補うことができると信じていた。第17軍の指令官であった安達大将はそれを「帝国軍人の独自で際立った精神的優位」と語った。精神力の強さがどのような困難も克服し、いずれは勝利に導くのだという信念は、1943年1月のブナでの敗北と撤退の結果、少しは訂正された。この戦闘後に書かれた報告書は、戦闘中の兵士への補給の重要性を認めたものの、やはり精神力の大切さを強調している。この報告書の中の「全般に関する事項」の第13項は次のように記している。
13 凡有困苦ニ耐ヘ病魔ニ克チ戦闘ヲ遂行スルタメ気力ノ鍛錬志気ノ昂揚ハ特ニ必要ナリ頑健ナル体力固ヨリ必要ナルモ精神力不十分ナル者ハ病ヲ得死期ヲ早ムル事多シ。
対照的に、一部の兵士は自軍の敗北の原因に関してもっと現実的な見方をしていた。1942年11月にパパキ付近で捕虜になった第144連隊所属のイガウエ・トキオ一等兵は、連合軍の尋問担当官に対して敗北の原因を二つ上げている。彼によれば、その原因はまず日本軍が連合軍の勢力を過小評価していたこと、そして補給を受けることができなかったことである。
食料と兵器が十分に補給されてこそ兵士の士気が維持できる、という当たり前の事実が戦争中にしっかりと認識されなかったため、数多くの日本兵が死亡し病気になった。しばしば作戦計画は、兵器や弾薬そして一番重要な食料の供給の確保というしっかりとした後方支援なしに決行されたのだった。
田村恵子記
参考資料
Mark Johnston, Fighting the Enemy: Australian soldiers and their adversaries in World War II. (マーク・ジョンストン『敵との戦い:第二次世界大戦におけるオーストラリア兵とその敵たち』) Cambridge: Cambridge University Press, 2000, pp.125-126.
太平洋南西地域連合軍翻訳通訳部門 尋問報告書 第17号 (AWM55 6/1) 。
『「ブナ」「ギルワ」方面戦闘ノ教訓及将来攻勢ニ関スル情報資料』防衛研究所蔵 (南東東ニューギニア341)。
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