Australian War Memorial - AJRP
   
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田村義一の日記 1–30ページ

ふりがな付き日記文
従軍手帳
田村義一

一月 五日 東三六部隊入隊
一月十二日 宇都宮出発
一月十四日 朝鮮釜山上陸
満州北支経由北支着
一月十八日 北支泊頭着
一月二十日 青島着櫻岡
兵舎生活

二月 三日 上船
二月 四日 青島出発
二月 十日 南洋群島パラオ
着 神社参拝
二月十九日 パラオ発
二月二十二日 ニューギニア ウエワク
上陸天幕生活

椰子の梢に故郷を
偲び海を眺めて
ばなな食べ

太平洋行進曲
ニューギニア戦線

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敵(てき)のあぶ糞(ふん)する度(たび)に
地(ち)が振(ふ)れて

ジャングルは弾丸より
こわし蛇(へび)が居(い)る

椰(や)子(し)の実(み)も珍(めず)らし内は
うれしかり

秋(あき)陽(よう)気(き)蜻(とん)蛉(ぼ)が
空(そら)に飛(と)び交(か)わし

蛍光に常夏の国の
夜は長し

病有り顔疲れ:::
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極(ごく)楽(らく)鳥(ちょう)の鳴(な)き聲(こえ)をきけば
内地(ないち)のカッコウ鳥(どり)を思(おも)い出(だ)す
南洋(なんよう)の椰子(やし)の林(はやし)の中(なか)に
ケオコウ キョウ ケオコウ ケヨウヨ
何(なん)と言(い)うのか分(わ)からねども余(あま)りに
好(す)かない変(へん)な鳴(な)き聲(ごえ)だ
昨日(きのう)今日(きょう)戦友(とも)に内地(ないち)から便(たよ)りが
来(き)て一(いち)月(がつ)末(まつ)の新(しん)聞(ぶん)を見(み)る
相(あい)変(か)わらずの故(ふる)郷(さと)
南(なん)方(ぽう)ニューギニア戦(せん)線(せん)のニュースも
出(で)ていたけど我(わ)が現(げん)住(じゅう)の地(ち)と
誰(だれ)が知(し)るだろう
内地(ないち)のお盆(ぼん)の頃(ころ)位(くらい)の暑(あつ)さなれども
害(がい)虫(ちゅう)多(おお)く中(なか)にも蚊(か)だけは
全(まった)く閉(へい)口(こう)している
病(やまい)の為(ため)かこの頃(ごろ)元気(げんき)なく
兵隊(へいたい)の士(し)気(き)低(ひく)き感(かん)あり

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謎 毎日新聞ヨリ

1 一つ目で日本中飛び歩いて居るもの

2 たこに入ればをしたら何になる

3 物を買えば必ず他人にやるもの

節生を重ん志健康を保つ
常に元気旺盛たるべ志

1汽車 2たばこ 3金

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住(す)みなれぬ地(ち)の労(ろう)苦(く)は常(つね)に
家(いえ)なくスコールにぬれる
毎日(まいにち)定(さだ)まって来(く)る俄(にわか)雨(あめ)も今日(きょう)は
来(こ)ずにからりと上天気(じょうてんき)
それだけ暑(あつ)さも厳(きび)しきなり
三月(さんがつ)と言(い)えば故郷(ふるさと)でももう幾分(いくぶん)
暖(あたたか)くなる頃(ころ)だとしみじみ
軍隊(ぐんたい)生活(せいかつ)して居(い)ると月日(つきひ)の
感情(かんじょう)が全(ぜん)然(ぜん)消(け)しとんで無神経(むしんけい)
の様(よう)になり 無情(むじょう)なり
人(ひと)の恵(めぐ)みも知(し)る術(すべ)もなく
二(に)ヶ(か)月(げつ)位(ぐらい)で椰子(やし)もあきるだろう

伏床のためか自然(しぜん)気(き)もだるく
変(へん)に気(き)をくぢらす
嫌(いや)だあ 誰(だれ)の気(き)もこんな風(ふう)に
かたむいて行(い)く

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地球節(ちきゅうせつ)も過(す)ぎて内(ない)地(ち)だと
菜(な)種(たね)の花(はな)も咲(さ)く頃(ころ)なり
一別以来(いちべついらい)唯(ただ)一度(いちど)の便(たよ)りもなく
無(む)情(じょう)をさげみ居(い)る事(こと)と思(おも)う
軍隊(ぐんたい)生活(せいかつ)の多忙(たぼう)又(また)規則(きそく)
知(し)る人(ひと)のみの味(あじ)わう感(かん)境(きょう)なり
唯(ゆい)一(いつ)の楽(たの)しみは椰(や)子(し)の汁(しる)を
呑(の)む事
のどの乾(かわ)きしときぎっとのむ
この味(あじ)は誠(まこと)に南(なん)国(ごく)の特(とく)典(てん)
だと信(しん)じております
一(いっ)報(ぽう)を出(で)来(き)る日(ひ)は無(な)く唯(ただ)
いたずらに使役(しえき)に送(おく)る
野幕生活(せいかつ)

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兵隊(へいたい)さん有(あり)難(がと)う存(ぞん)じます
熱(あつ)い南(なん)国(ごく)の太(たい)陽(よう)焼(や)けに
この間(あいだ)の寫真(しゃしん)が土人(どじん)の様(よう)に
真黒(まっくろ) 目(め)ばかり人形(にんぎょう)の
様(よう)でした
椰子(やし)の汁(しる)は甘いそうですね
内地(ないち)の人(ひと)達(たち)が思(おも)うのは
珍(めずら)しいだけとか
見(み)たこともありません故(ゆえ)
そうだか知(し)れませんね
今度(こんど)はその味(あじ)をはがきに
しまして送(おく)って下さい

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青島(ちんたお)にて 一月二十八日
元気(げんき)なり何(い)時(つ)も同(おな)じの文(ふみ)なれど
来(こ)ぬと気(き)を病(やむ)父(ふ)母(ぼ)ありがたく

はなれ来(き)志(し)祖国(そこく)の友(とも)は唯(ただ)一(ひと)つ
黙々(もくもく)として死(し)せと励(はげ)ます

晴れたれど 陽(ひ)陰(かげ)氷りて寒空(さむぞら)に
技(わざ)をねる兵(へい)の顔(かお)光(ひか)り居(お)り

物(もの)乾(ほし)場(ば)に乾(ほ)してある洗(せん)濯(たく)物(もの)の日(ひ)の
当(あ)たらぬ方(ほう)は白(しろ)く凍(こお)って居(い)る
日(にっ)中(ちゅう)とは言(い)えど相(そう)当(とう)に寒(さむ)い皆(みな)夏(なつ)服(ふく)で
震(ふる)えている 元(げん)気(き)を出(だ)せ張(はり)切(き)れと
励(はげ)ます上(じょう)官(かん)の防(ぼう)寒(かん)具(ぐ)がはなせぬ様(よう)だ
見(み)渡(わた)す山(やま)々(やま)は丸(まる)はげて 吹(ふ)き寄(よ)す
海(うみ)風(かぜ)は肌(はだ)を刺(さ)す
明(あ)日(す)の守(まも)り(り)健(けん)児(じ)は今(いま)征(せい)途(と)前(まえ)
元(げん)気(き)いっぱい訓(くん)練(れん)中(ちゅう)

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應(おう)召(しょう)の兵(へい)とも思(おも)はぬ元(げん)気(き)さに
頼(たのも)しき感(かん)しみじみ思(おも)う

帝国(ていこく)の民(たみ)と生(うま)れし嬉(よろこ)びを
軍(ぐん)服(ぷく)を着(き)て更(さら)に深(ふか)くし

練(れん)兵(ぺい)の辛(つら)さ寒(さむ)さも何(なん)のその
我(われ)は海(うみ)の子(こ)大和(やまと)男子(だんし)ぞ

幾歳(いくとせ)の守(まも)りゆるがしたゆまぬは
父祖(ふそ)より受(う)けし大和魂(やまとだましい)
入院(にゅういん)の友(とも)を送(おく)りて(一月二十八日)

安(やす)らかに療(りょう)養(よう)せよと覺(おぼ)しつつ
見(み)送(おく)る我(われ)の心(こころ)さびしき

大神(おおかみ)よ戦友(とも)の痛手(いたで)を一日(いちにち)も
早く(はやく)療(いや)して大君(おおきみ)にささげよ

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海上(かいじょう)にて 二月(にがつ)七日(なのか)
大海原(おおうなばら)は生きて居(い)る 白いかもめに
送られて故郷(ふるさと)を出(で)て幾(いく)昼(ちゅう)夜(や) 今日(きょう)も
昨日(きのう)も又(また)明日(あす)も果(は)てしなき大海原(おおうなばら)は
何處(どこ)までつづく 大波(おおなみ)小(こ)波(なみ)寄(よ)せ返(かえ)す
波(なみ)の彼方(かなた)に悠々(ゆうゆう)と海(うみ)は生きている
躍(おど)る黒潮(くろしお)八重(やえ)の潮路(しおじ)
男(おとこ)の度胸(どきょう)今(いま)ぞ試練(しれん)の真中(まっただなか)
船(ふね)は今(いま)一路(いちろ)南(みなみ)を指(さ)して進(すす)む
子(こ)を守(まも)るが如(ごと)く添(そ)う巡(じゅん)艦(かん)の
ゆっとりとした勇姿(ゆうし)たのもしき
見(み)渡(わた)す限(かぎ)り海(うみ)と雲(くも)の世界(せかい)
遂(つい)近日迄(きんじつまで)寒(さむ)さに打(う)ち震(ふる)えていた事(こと)も
まるで夢(ゆめ)の様(よう)に風強(かぜつよ)けども
暖(あたた)かし ともすれば水(みず)の中(なか)に入(はい)りたいほど ちらと晴(は)れしと思(おも)えば又(また)雲(くも)
重畳(じゅうじょう)なる雲(くも)の峰(みね)ばかり
そして又(また)見渡(みわた)す限(かぎ)り海(うみ)の水(みず)

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この水(みず)の生命(いのち)この黒潮(くろしお)に生(せい)ある如(ごと)く
真(ま)白(しろ)きしぶき大(おお)うねり
何處(どこ)までも果(はて)しなきこの潮(しお)はさながら
生(い)けるが如(ごと)し たしかに生きている
脈(みゃく)あり血(ち)が通(かよ)うが如(ごと)く発(はつ)刺(し)として踊(おど)る
我(われ)は果(はた)して今この黒潮(くろしお)に何を学ばんとしているや故郷(こきょう)にのこせし父子(ふし)兄弟(きょうだい)いや
自己(じこ)の信念(しんねん)の徹(てっ)せざる限り突進(とっしん)せんと
寸(すん)前迄(ぜんまで)戦って来た記(き)憶(おく)の中(なか)に
更(さら)に力(ちから)強(づよ)き信(しん)念(ねん)を得(え)んとして
学問(がくもん)が何(なん)だ 運命(うんめい)が何(なん)だ ともすれば
荒(すさ)ぶ心(こころ)の奥(おく)に大いなる瞳(ひとみ)をひらかせて
呉(く)れる人の力だ幾(いく)昼夜(ちゅうや)の果てなきこの
船(ふな)旅(たび)に雲(くも)と水(みず)のこの世(せ)界(かい)に現(げん)在(ざい)地(ち)も
行(ゆ)く先(さき)もはっきり教えて呉(く)れるのがこの智(ち)だ人(ひと)の学問(がくもん)だ
戦場(せんじょう)は意気(いき)だ 確か(たしか)に精神力(せいしんりょく)に追(お)ふ(う)所(ところ)大(だい)なりと言(い)えども唯軍(ただぐん)はこの力(ちから)のみに
於(お)いて果(は)たしてこの重大(じゅうだい)なる任務(にんむ)が遂行(すいこう)出(で)来(き)るか 否(いな)や

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智(ち)と力(ちから) 精神力(せいしんりょく)を合(あわ)してのみ将(まさ)に天(てん)運(うん)我(われ)にあり
社会(しゃかい)の大浪(おおなみ)にゆられて人(ひと)として生きる道が心からはっきりしてくる
あの出征(しゅっせい)の際(さい)焼(や)き捨(す)てんとしたが生還(せいかん)を期(き)せぬ我が(わが)心(こころ)に幾分(いくぶん)でも理解(りかい)して戴(いただ)くためにそっくり残(のこ)した日記帳(にちきちょう) 又(また)随筆帳(ずいひつちょう)
今頃(いまごろ)父(ちち)はどんな心(こころ)で読(よ)んでくれるだろうか 未練(みれん)がましいと思(おも)えばこそ唯(ただ)一言(ひとこと)の別(わか)れもせず発(た)って来た我(われ)
この身が白木(しらき)の箱で還(かえ)った時本当に我(われ)の子としての心が解(わ)かって貰(もら)えるだろう
又(また)信(しん)じて来たあの日記(にっき)なり
社会(しゃかい)の競争(きょうそう)に於(お)いて我(われ)はその櫂(かい)なく悲憤(ひふん)やる方(かた)なく破(やぶ)れたり
今更(いまさら)誰(だれ)をうらもう 愚痴(ぐち)も言(い)うまい
然(しか)しながら我(わ)が子(こ)に
孫(まご)に残(のこ)すべき大きな使命(しめい)の

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ために五年(ごねん)十年(じゅうねん)でも雄雄(おお)しく
戦って行く(いく)覺悟(かくご)
今この黒潮(くろしお)を目(ま)の当(あた)りみて男の
意気(いき)男子(だんし)として本当(ほんとう)の道を
発見(はっけん)した様(よう)に清清(すがすが)しい心だ
死(し)して皇国(こうこく)に殉(じゅん)ず
今(いま)二十(にじゅう)有余(ゆうよ)年(ねん)の人生に別れを
遂(と)げんとして征途(せいと)に就(つ)く
願(ねが)わくば死所(しにどころ)を得(え)させよ

雲(くも)又(また)雲(くも) 海(うみ)又(また)海(うみ)のはてしなき
大海原(おおうなばら)は我(わ)が墓所(ぼしょ)なり

黒潮(くろしお)の生(い)けるが如(ごと)き大洋(たいよう)に
祖国(そこく)を守るもののふぞ征(ゆ)く

天地(てんち)唯(ただ)重畳(じゅうじょう)として境(さかい)なく
波(なみ)に起(お)き伏(ふ)す我(われ)は海(うみ)の子

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征(ゆ)け征(ゆ)けとはげます潮(しお)の聲(こえ)きけば
我(わ)が神(しん)洲(しゅう)の勝(かち)どきと見る

神(かみ)は唯(ただ)我(わ)が行く道をしめさばや
生死(せいし)は天の知るよしもがな

願(ねが)わくは弟妹(おとうといもうと)達(たち)にこの海の
真相(しんそう)を少しでも知らせたい
助川(すけがわ)でも日立(ひたち)でも一度
行って来る様(よう)にと願(ねが)ふ

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一信(いっしん) 二月十二日
どうだ元気(げんき)で奮闘中(ふんとうちゅう)か 寒(さむ)いと
震(ふる)えているのと違(ちが)うか
もしそうだったらこちらに来(き)給(たま)え
一(いち)度(ど)で暑(あつ)くて逃(に)げ出(だ)すから
あれから内地(ないち)もお変(か)わりありませんか
兄(あに)も元気(げんき)です
紀元(きげん)節(せつ)には海水浴(かいすいよく)でした
夢(ゆめ)で椰子(やし)の実(み)をたくさん送(おく)って
上(あ)げましょうどんなに食(た)べても余(あま)る程(ほど)
無(ぶ)事(じ)届(とど)くかどうかね
枕元(まくらもと)にかごでも置(お)いて寝(ね)るように
またその内(うち)珍(めずら)しい事(こと)を知(し)らせましょう
兄(あに)より
弟(おとうと)へ

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四月一日
太平洋(たいへいよう)に小便(しょうべん)がしたい 誰(だれ)かが
ビルマ作戦(さくせん)の真中(まっただなか)ラングレーを
攻略(こうりゃく)すべく行軍(こうぐん)こんな事(こと)をした
と 或(あ)る雑(ざっ)誌(し)に出(で)ていたのを思(おも)ふ(う)
今(いま)我(われ)はニューギニアの海岸(かいがん)で
この事(こと)を思(おも)い出(だ)して何(なん)となく
苦(く)笑(しょう)せざるを禁(きん)じ得(え)ぬ
上陸(じょうりく)して五(ご)旬(じゅん) 何(なん)と長(なが)い又(また)
短(みじか)い生(せい)活(かつ)の様(よう)だ
未(み)開(かい)のジャング()ル()に住(す)んでローソクの
光(ひかり)も無(な)く朝(あさ)に起(お)き夕(ゆう)に伏(ふ)し
同(おな)じ労(ろう)働(どう)に使(し)役(えき)しつつ
軍(ぐん)隊(たい)生(せい)活(かつ)の一(いっ)端(たん)を味(あじ)わう
椰子(やし)もあきるほど食(しょく)した
唯(ただ)ほしいのは新(しん)鮮(せん)なる野(や)菜(さい)
又(また)新(あたら)しい漬(つけ)物(もの)
内地(ないち)の香(こう)をしみじみと
思(おも)い浮(うか)かべつつ

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或(あ)る友(とも)は兵(へい)隊(たい)だから總(すべ)ては
あきらめるのだと嘆息(たんそく)す
生活(せいかつ)戦線(せんせん)の労苦(ろうく)と別(べつ)に
軍隊(ぐんたい)の生活(せいかつ)には一種(いっしゅ)独特(どくとく)の
内務(ないむ)あり
各階級(かくかいきゅう)によりて統(とう)属(ぞく)する
なれば詮(せん)なく
今日(きょう)も又(また)椰子(やし)の木の間を縫(ぬ)って
荷車(にぐるま)を引(ひ)く
これが作戦(さくせん)だ
思(おも)いつつ変な使役(しえき)の感(かん)禁(きん)じ
得(え)ざるべからず
大戦火(だいせんか)のこの中(なか)に人類(じんるい)の
総(すべ)てが闘争(とうそう)して行く社(しゃ)會(かい)の
現実(げんじつ)がしみじみと
頭(あたま)にしみて来(く)る

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四月一日
南国(なんごく)特有(とくゆう)の魚(さかな)が澤(たく)山(さん)浮(う)いて
泡(あわ)立(だ)つ位(くらい)だ 今日(きょう)も相当(そうとう)に暑(あつ)い
殆(ほとん)ど毎(まい)日(にち)の様(よう)に飛(と)んできた敵機(てっき)も
この二(に)、三日(さんにち)姿(すがた)を見せぬ
予期(よき)した者(もの)が来(こ)ぬ様(よう)に何(なん)となく
心(こころ)足(た)りなく路上(ろじょう)を歩(ある)いていた
ぼーん、ぼーんと高射砲(こうしゃほう)が打つ
空襲(くうしゅう)警報(けいほう)よりも射撃(しゃげき)の方(ほう)が
何(い)時(つ)も早(はや)い
「ああ来た あの雲(くも)の左 あ雲の中に
入った」平然(へいぜん)として誰(だれ)もが立って
ボーイングの行(ゆく)方(え)を見る
随分(ずいぶん)大きいな 高度(こうど)は相(そう)当(とう)に
高けれども悠々(ゆうゆう)と飛んで
我が(わ)心(こころ)をじらす
敵(てき)乍(ながら)相当(そうとう)なもんだなあ
誰(だれ)かが感心(かんしん)したようにつぶやく
友(ゆう)軍機(ぐんき)は何(なに)をしているのか
と 或(あ)る友(とも)は言った

< 18 >
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上陸(じょうりく)した其(そ)の日(ひ)から敵機(てっき)の
お見(み)舞(ま)いを受(う)けつづけ故(ゆえ)
空襲(くうしゅう)されても呑気(のんき)に又(また)かと
平気(へいき)だ 唯(ただ)どんなに撃(う)っても一度(いちど)も
当(あ)たらざる高射砲(こうしゃほう)がうらめしい
敵(てき)は悠々(ゆうゆう)と一(ひと)廻(まわ)りして行く
砲弾(ほうだん)が後(あと)を追(お)ふ
唯(ただ)見(み)ているだけの我々(われわれ)はじれたくて
どうにもならぬ
やがて見えなくなった敵機(てっき)を
皆(みな)でうわさして
歩度(ほど)を速(はや)める
路(みち)は浜辺(はまべ)の波打(なみうち)岸(ぎし)に近(ちか)く
波音(なみおと)はやさしき強(つよ)く
胸(むね)を打(う)つ
何(なに)もほしくない軍隊(ぐんたい)生活(せいかつ)の
一日を夕方(ゆうがた)まで働(はたら)く

< 19 >
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四月一日
若草(わかくさ)萌(も)ゆる丘(おか)の上(うえ)
浪(なみ)路(じ)はるかに眺(なが)むれば
太平洋(たいへいよう)の黒潮(くろしお)を
今日(きょう)ものりこえはるばると
強(つよ)く勇(いさ)まし船(ふね)が来(く)る
祖国(そこく)の便(たよ)りを乗せてくる

椰子(やし)の木陰(こかげ)にたたずんで
波(なみ)の彼方(かなた)の大空(おおぞら)に
想(おも)い偲(しの)ばすニューギニア
遠(とお)い異(い)郷(きょう)が今(いま)更(さら)に
暑(あつ)さと共(とも)に胸(むね)に来(く)る


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四月二日
今日(きょう)も朝(あさ)から蝉(せみ)がないている
真夏(まなつ)だ ジャングルの中(なか)に居(い)ても
未(ま)だ相(そう)当(とう)に暑い(あつい)
極楽(ごくらく)鳥(ちょう)が鳴(な)く常(とこ)夏(なつ)の国(くに)だ
椰子(やし)の実(み)も始(はじ)め程(ほど)珍(めずら)しくは
なくなったが味(あじ)が戀(こい)しい
殆(ほとん)ど休(やす)む暇(ひま)なき役使(えきし)の中(なか)に
故郷(こきょう)の便(たよ)りが待(ま)ち遠(どお)しい
出征(しゅっせい)以来(いらい)の一回(いっかい)の頼(たよ)りも来(こ)ず
さぞ家(いえ)でも待(ま)って居(い)る事(こと)だろう
南国(なんごく)に来(き)て見(み)る物(もの)聞(き)く物(もの)
總(すべ)てが珍(めずら)しく ないものはなきに
何(な)故(ぜ)かぼうーとして感(かん)更(さら)になし
兵隊(へいたい)生活(せいかつ)の単調(たんちょう)なり
外(ほか)の事(こと)を考(かんが)える余(よ)裕(ゆう)が
ないのだ

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ばななも山(やま)にはあるそうだ
時々土人(ときどきどじん)やその他(た)の人(ひと)の持参(じさん)
するを見(み)るけど未(いま)だ一度(いちど)も
見(けん)参(さん)出(で)来(き)ざるなり
パパイヤもある然(しか)れども食(しょく)膳(ぜん)を
賑(にぎ)わす程(ほど)はなし
少(すこ)し奥(おく)に土人(どじん)部落(ぶらく)ありて
甘藷(かんしょ)や南瓜(かぼちゃ)があるとか小隊(しょうたい)の
友(とも)は言(い)う
南方(なんぽう)に来(き)たら椰(や)子(し)やバナナは
充分(じゅうぶん)に食(た)べられるだろうと思って
いた事(こと)が余(あま)りに夢(ゆめ)のようで
あったのに今更(いまさら)深(しん)歎(たん)す
未開(みかい)の地(ち)と言(い)う言(こと)葉(ば)がこれ程(ほど)
しみじみとした事(こと)なし
ただ蛇(へび)が毒(どく) 動作(どうさ)の案外(あんがい)
少(すく)なきに稍(やや)安心(あんしん)せり

< 22 >
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再度(さいど)の應(おう)召(しょう)に際(さい)して隊(たい)の
生活(せいかつ)が階級(かいきゅう)の差(さ)によりて
非常(ひじょう)に異(こと)なるに不快(ふかい)あり
勅諭(ちょくゆ)の示(しめ)す所(ところ)詮(せん)なし
前(まえ)の時(とき)せめて伍長(ごちょう)位(ぐらい)になって
おくべきと嘆(なげ)きたり
南方(なんぽう)戦線(せんせん)の花(はな)と散(ち)り
戦友(とも)ありて四月(しがつ)一日(ついたち)に
中隊(ちゅうたい)にて告別式(こくべつしき)を挙(あ)げし際(さい)
不幸(ふこう)の友(とも)を痛(いた)む
中支(ちゅうし)戦線(せんせん)の当時(とうじ)より更(さら)に
不幸(ふこう)なる現況(げんきょう)に情(なさけ)無(な)し

想(おも)いつらつら定(さだま)らず
元気(げんき)なくペンを執(と)る今日
病(やまい)重(かさ)なりて疲労(ひろう)あり

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上(じょう)陸(りく)一(いっ)ヶ(か)月(げつ)半(なか)ばにして入院(にゅういん)患者(かんじゃ)
続出(ぞくしゅつ)せり 分隊(ぶんたい)より二名(にめい)
連(れん)隊長(たいちょう)の訓示(くんじ) 戦力(せんりょく)増進(ぞうしん)せよに
反(はん)する事(こと)大(だい)なり
四月(しがつ)五日(いつか) 入隊(にゅうたい)三ヶ月(さんかげつ)今(いま)一度(いちど)の
便(たよ)りも着(つ)かざるなり
故郷(ふるさと)の香(かお)りがほしい
無事(ぶじ)の外(ほか)かく事(こと)なき信(たより)も
出(だ)せぬと思(おも)えば如(いか)何(ん)せん

南(みなみ)十(じゅう)字(じ)星(せい)
ニューギニア

技師(ぎし)
坪井(つぼい)大尉(たいい)

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誰(たれ)か故郷(こきょう)を想(おも)はざる

花(はな)摘(つ)む野(のべ)辺に日(ひ)は落(お)ちて
皆(みんな)でかたを組(く)みながら
唄(うた)を歌(うた)った帰(かえ)り道(みち)
幼(おさな)なじみのあの山(やま)
この谷(たに)
誰(たれ)か故郷(こきょう)を思(おも)はざる

都(みやこ)に雨(あめ)の降(ふ)る宵(よい)は
涙(なみだ)に胸(むね)もしめり勝(が)ち
遠(とお)く呼(よ)ぶのは誰(だれ)の聲(こえ)
幼(おさな)なじみのあの山
この谷
誰(たれ)か故郷(こきょう)を思(おも)はざる

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はるか南海(なんかい)の果(は)でこんな思慕(しぼ)を寄(よ)せたとて誰(だれ)が本当(ほんとう)にするだろう
知(し)り合(あ)ってから一ヶ年何の事(こと)もなく
友(とも)の妹(いもうと)として君(きみ)を知(し)っただけなのに
何故(なぜ)かしら忘(わす)られぬ君(きみ)の面影(おもかげ)だ
便(たよ)りする機会(きかい)もなく余(あま)りに厚(あつ)かましい
心(こころ)と思(おも)えば遂(つい)一(いち)度(ど)の信(たより)も
せざるなり 唯(ただ)獨(ひと)り胸(むね)を痛(いた)めて
故郷(こきょう)を偲(しの)ぶ
求(もと)むる事(こと)の無理(むり)と知(し)りつつ
何故(なぜ)あきらめられぬ想(おも)いあり
元気(げんき)で今頃(いまごろ)人妻(ひとづま)として嫁として
いるだろう。 思(おも)えば羨(うらや)ましい
君(きみ)の夫(おっと)だ
唯(ただ)君(きみ)の幸福(しあわせ)を祈(いの)る男(おとこ)の
意(い)を天(てん)は知(し)らず

陣中(じんちゅう)倶楽部(くらぶ)より

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明日(あす)はお発(た)ちか
お名(な)残(ご)り惜(お)しや
大和男(やまとおとこ)の晴(は)れの旅(たび)
朝日(あさひ)をあびて出(い)で立(た)つ
君(きみ)を拝(おが)む心(こころ)で送(おく)りたや

駒(こま)の手綱(たづな)をしみじみとれば
胸(むね)に清(すが)しい朝(あさ)の風(かぜ)
お山(やま)は晴(は)れて湧(わき)きたつ雲(くも)よ
君(きみ)を見(み)送(おく)る峠(とうげ)みち

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出征(しゅっせい)
總(すべ)てが皆夢(みなゆめ)の様(よう)にすぎるこの出征(しゅっせい)である
感激(かんげき)も感謝(かんしゃ)も希望(きぼう)も
この胸中(きょうちゅう)に包(つつ)んであたかも大海(たいかい)の
如(ごと)くなれる心(こころ)に自驚(じきょう)す
宇都宮(うつのみや)を出発(しゅっぱつ)したのが夜(よる)の十時(じゅうじ)五分(ごふん)
故郷(ふるさと)の驛(えき)を通過(つうか)したのが十一時(じゅういちじ)
ひっそりとしたホームに驛(えき)長(ちょう)と
二(に) 三(さん)の駅員(えきいん)の居(い)た外(ほか)何(なに)もなく
安(やす)らかな眠(ねむ)りに就(つ)いていた
時(とき)将(まさ)に一月十二日 我等(われら)は重大(じゅうだい)なる
使命(しめい)の元(もと)に勇躍(ゆうやく)征途(せいと)につく
これが今生(こんじょう)の見(み)納(おさ)めと思(おも)へど
何(なん)と冷静(れいせい)なる心境(しんきょう)であろう
大山(たいざん)の如(ごと)く總(すべ)ては胸(むね)に秘(ひ)む
帝都(ていと)のねむりを外(そと)に列車(れっしゃ)は
一路(いちろ)東海道(とうかいどう)を驀進(ばくしん)す

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或(あ)る者(もの)を除(のぞ)いては已(すで)に歴(れき)戦(せん)の
勇士(ゆうし)ばかりだ
前(まえ)に通(とお)りし想(おも)いに話題(わだい)を
賑(にぎ)わして居(い)ると言(い)えど思(おも)い思(おも)いの
うたたね多(おお)し
品川(しながわ)を通(とお)り横(よこ)浜(はま)を抜(ぬ)け
沼津(ぬまづ)にて夜(よ)はほのぼのと明(あ)け
そめたり 車中(しゃちゅう)第一回(だいいっかい)の
朝食(ちょうしょく)を摂(と)り 元気(げんき)回復(かいふく)
車窓(しゃそう)の影は蜜柑(みかん)の山(やま)多(おお)く
静岡(しずおか)の名産(めいさん)地近(ちちか)し
黄色(きいろ)の実(みの)る蜜(み)柑(かん)の山(やま)を右(みぎ)に
左(ひだり)に眺(なが)めつつ更(さら)にはるか東天(とうてん)に
日輪(にちりん)の昇(のぼ)る頃(ころ) 霊峰(れいほう)
富士(ふじ)の姿(すがた)を見る
山(やま)半身(はんしん)を(まっ)真(まっ)白(しろ)く天(てん)に聳(そび)ゆる
この雄姿(ゆうし) 大和(やまと)島根(しまね)の
表徴(ひょうちょう)なり

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去年(きょねん)の七月(しちがつ)工(こう)友(ゆう)と共(とも)にこの山頂(やま)を
征服(せいふく)した当時(とうじ)を想(おも)いだし
感無量(かんむりょう) あの山路(やまみち) この谷(たに)
岩(いわ)又岩(またいわ)の登山(とざん)の想(おも)い出(で)懐(なつ)かしく
想(おも)い浮(う)かべり
海(うみ)の見(み)え始(はじ)める頃(ころ)ちらちらと
車窓(しゃそう)に雪(ゆき)を見(み)る
関西(かんさい)は暖(あたた)かきと知(し)りしに一寸(ちょっと)
意外(いがい)の感(かん)あり
山(やま)陰(かげ)木(こ)陰(かげ)雪(ゆき)白(しろ)く寒(さむ)さも
そぞろ車中(しゃちゅう)に震(ふる)えて居(い)る
陽(よう)光(こう)照(て)りて下(くだ)る東(とう)海(かい)道(どう)の
風影(ふうえい)を楽(たの)しみたり
汽車(きしゃ)は今(いま)思(おも)い思(おも)いに乱(みだ)れる
勇士(ゆうし)等(ら)をのせて目的地(もくてきち)へ進(すす)む
果(は)たしてこの中(なか)幾(いく)人(にん)還(かえ)るやも
知(し)らずに

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