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戦争の人間像
久枝秋吉

愛媛県新居浜市大生院村出身の久枝秋義は、陸軍に召集され輜重兵として第55大隊第一野戦病院に配属された。彼の日記は召集された1941年10月3日から始まり、1942年11月16日の最後の文「敵ハ(ブナ)沖ニ上陸」(原文ママ)で終わっている。

久枝の部隊は南海支隊配属の野戦病院部隊で、日本を1941年11月23日に離れ、太平洋を南に向けて進んだ。1941年12月10日のグアム上陸と、翌年1月22日のラバウル上陸は南海支隊の勝利に終わった。久枝は1942年5月に支隊司令官の堀井少将が乗った輸送船松江丸に同乗し、ポートモレスビー海路攻撃に参加した。しかし南海支隊を輸送する艦隊は、連合軍と珊瑚海において遭遇し、ラバウルへ後戻りせざるを得なかった。ラバウルに戻った彼は、ポートモレスビー陸路攻撃に備え野戦病院の一員として2ヶ月間待機をした。

横山先遣隊の上陸から1週間後の1942年7月29日、久枝の部隊はニューギニアの海岸に上陸し、野戦病院を設営した。到着後すぐに連合軍による爆撃攻撃を受けたと久枝は日記に記録している。南海支隊がオーエンスタンレー山脈に進攻した結果、1942年8月12日に久枝を含む野戦病院の人員12名は、ココダへ派遣された。途中いくつかの村で仮設病院を設営しながら、8月28日にココダにようやく到着した。戦死傷者の数は増加し、久枝はデネキからココダへ負傷者や病人を何度も後送した。その間連合軍の爆撃は激しさを増し、久枝は1942年9月2日の状況を日記に次のように記録している。「8時ヨリ約1時間ノ間空襲アリ。異常ナシ。敵戦闘キ数キニ(ボーイング)爆撃キ数キ投下セル爆弾雨ノ如シ。」(原文ママ)

10月上旬、支隊がオーエンスタンレー山脈から海岸への退却を開始し始めた頃、久枝の部隊に対する食料補給が減ってきた。彼の日記には配給の減少が記録され、食料不足が深刻になってきたことがわかる。10月10日と11日には米が全くなかったため、その翌日には麦の粥を食べなくてはいけなかった。さらに13日と14日にはたった一缶の食料しか配給されなかった。

彼の部隊は10月28日に、退却する兵士たちと共に海岸へ向かって移動し始めた。11月1日にクムシ河を渡り、海岸へ向けて進んだ。食料補給はさらに悪化し、11月2日には米も3合しか所持していなかった。

11月16日、久枝は彼の最後の文を日記に記した。彼はギルワから約5キロメートルの場所で野営をしており、「敵ハ(ブナ)沖ニ上陸」と書いたのだった。おそらく、この文を記入した後まもなく彼はこの付近で死亡したのではないかと考えられる。

久枝は自分の感情や考えを書き残さなかったものの、日記に記された移動や行動に関しての詳細な記録から、ある一人の兵士の興味深い体験が読み取れる。彼の日記には興味をそそるイラストが二点含まれている。ひとつはグアム占領を祝うもので、椰子の木と草葺きの小屋が描かれている。もう一点はラバウル占領に関したもので、煙をはく火山が描かれている。後者のイラストには俳句が書き添えられており、「想出のラバール」と題され「満月や 故郷を写す 水鏡」とある。日本帝国軍隊の先陣として太平洋を渡った久枝であったが、彼の思いは故郷の家族に寄せられていたのだった。

久枝の日記は、1942年後半にゴナで現地人キャンプの指揮官だったオーストラリア軍将校のL. B. Smith氏に手渡された。この日記は30年間彼の手元に置かれていたが、ようやく1972年にオーストラリア国立大学のアーサー・ストックウィン博士と東京大学の坂野潤二博士によって訳された。日記の原本は、家族に返還するため日本大使館に手渡され、オーストラリア戦争記念館には日記のコピーと英語訳が保管されている。

田村恵子記

参考資料
Hisaeda Akiyoshi, AWM Private Records (3DRL/4005).

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南海支隊の侵攻
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