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戦争の人間像
小田健作

制海権も制空権も連合軍に握られ、1943年1月の時点でブナ守備隊は孤立してしいた。陸軍司令部が、ガダルカナル島からの将兵の撤退を最優先とした結果、東部ニューギニアの日本軍は、支援軍の到着も、あるいは撤退することも殆ど期待できなかった。このような状況下、山中から撤退する途中戦死した南海支隊司令官堀井富太郎少将の後任に、小田健作少将が12月20日に派遣された。この配属はあまり称賛が期待できるものではなく、彼はその任務から生還することはなかった。

小田健作は豊橋予備士官学校長として太平洋戦争開戦前から勤務をしていた。彼の東部ニューギニアへの到着は兵の士気を高めたかもしれないが、連合軍の圧倒的な威力を前にして、状況を打開できるすでは彼にはなかった。撤退せよとの命令を第18軍から受けた際、小田は南海支隊の生き残り部隊を、攻め寄ってくる連合軍の前線を突破して、陸路クムシ河河口へ向かわせることに決定した。彼の最期を第18軍参謀長であった吉原矩は次のように書いている。

仄聞すると、少将は最後尾の部隊が後退するや、「万事これで終わった。一つ煙草をゆっくりと喫おう」と当番兵に言いながら、「一足前に行け」と命じたとのことである。当番兵は言わるるままに、重き足を曳きずりつつ退却部隊に続行するや暫くにして、後方に拳銃声を耳にした。敵と戦闘でも開始したのではないかと急ぎ引き返してみるとこはそも如何に、少将と富田中佐とはマントを敷きその上に相擁して自決していたとの事である。

後日、吉原や他の人々は、小田の「この崇高な義務感は軍人としての模範であった」と述べている。小田の後に残るという決断は、日本軍の規律では司令官として最大の犠牲を指揮下の部隊に払ったと解釈される。このように「自決」と称された自殺は、圧倒的に勝算のない事態や不利な立場に陥った場合、その責任所在をはっきりさせる名誉ある手段として、多くの軍人が実行した。

しかし別の視点から見ると、小田の死を理解することは、もっと複雑である。工兵第15連隊の指揮官であった横山与助大佐によれば、小田少将は到着直後マラリアにかかり、重要な決定をくだすことができなかったということである。さらに、第41連隊連隊長代理の小岩井光夫少佐は、小田の最期について別の見方を示している。それは、小田は最初は脱出するつもりでいたが、連合軍の前線を突破することが不可能と判断し、決心を変えたという。一方ブナ支隊の田中正司参謀は、連合軍にとり囲まれた結果僅かの数の兵しか退却できなかった状況を考えても、小田は早まって「自決」の道を選んでしまったのではないかと批判をした。

参謀長であった吉原は次のように司令官の死を慎重に評価しようとしている。

察するに少将は既に死を決し、今日迄堪え難きを忍び、今こそ我事終れりと素志を決行したのではあるまいか。その如何なる理由の下に我事終れりとしたか、それは私の単なる想像に過ぎぬが、歩兵二個連隊を基幹とした約一万の南海支隊が、当時少将の手中に在ったもの果たして幾何か?而もその大部分は傷病兵にして、その後退後集結し得るもの果して幾何、その凄惨の状況を想起せんか、我一人帰還したりとして如何にせんや、南海支隊主力の屍を残して如何で後退し得んや。如かず部下の英霊と共に、この地に留まって、せめて英霊の父兄に対して御詫を申上ぐるが、武将として採るべき道ではないか?今を措て、他に死すべき時を求め得べきやと、部下将兵に殉じたのではあるまいか?・・・斯の如き時こそ、死すべき時なりと教えていた事をその儘実践躬行したことと思う。


小田少将は、部隊が陥った状況について責められるべきではない。それにもかかわらず、最終的責任を彼は負った。おそらく、状況の進展についての無力感と、自分自身の病気や状況との葛藤が、彼を自殺に導いたのではないだろうか。撤退の屈辱が彼の胸に重くのしかかり、死の休息のほうが楽に思えたのではなかろうか。どちらにしても、司令官の死によって、東部ニューギニアにおける南海支隊の作戦は終結し、それはまた、険峻なオーエン・スタンレー山脈を越えての日本陸軍のポートモレスビー侵攻作戦が、完全に失敗したことを意味した。

スティーブ・ブラード記 (田村恵子訳)

参考資料
吉原矩『南十字星:東部ニューギニア戦の追憶』1955年。東部ニューギニア会刊。40-41頁。
防衛庁防衛研究所戦史室編『戦史叢書南太平洋陸軍作戦2:ガダルカナル-ブナ作戦』1969年。朝雲新聞社刊。594-595ページ。

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