Australia-Japan Research Project

オーストラリア戦争記念館の豪日研究プロジェクト
戦争の人間像
ニューブリテン

ニューギニアの北東にあるニューブリテンは、長さ約500キロ、平均幅80キロの島である。島の北東に位置するラバウルはこの地域の日本軍の最も主要な戦略基地となった。1944年初頭には第8方面軍と南東方面艦隊から成る9万人以上の日本兵がニューブリテン島に駐留していた。ラバウルとニューブリテンの他の日本軍基地は、戦時中ほとんど常に連合軍の度重なる空襲に晒されていた。。

1943年9月以降、ニューブリテンの日本軍は持久態勢を取った。同年12月、アメリカ軍はグロスター岬とアラウエ付近の南岸に上陸し、ニューブリテン島西部を制圧した。1944年2月以降、一連の航空戦の決定的勝利によって、連合軍はニューブリテン周辺の制空権・制海権を握るようになり、実質的に同島の日本軍を孤立させた。

アメリカ軍は西部ニューブリテンの支配地を維持することに満足したが、連合軍情報局(AIB)の諸部隊は積極的な活動を行った。彼らは日本軍に関する情報を収集するとともに、連合軍の墜落飛行士を救出し、日本軍に攻撃を加えた。1944年10月、豪第5師団がアメリカ軍守備隊と交代すると、より積極的な作戦を展開した。1945年3月、オーストラリア軍は北岸のオープン湾と南岸のワイド湾の両地区に東進し、その結果、日本軍の動きをガゼレ半島内に制限した。


Printed on 05/14/2024 08:10:14 AM