オーストラリア戦争記念館の豪日研究プロジェクト 1942年の中ごろ、ポートモレスビー陸上攻略計画の初期段階において、この作戦に関してフィリピンのダバオに置かれていた第17軍指令本部の参謀と南海支隊の指揮官であった堀井富太郎少将と彼の参謀であった田中豊成中佐が会談をした。堀井はその任務の成功の可能性に関して消極的で、彼の上官に対して次のような意見を述べたといわれている。
戦争の人間像
堀井と補給
南海支隊においてもブナ-ココダ-モレスビー道を最良と認める。そしてブナ、ココダ間は図上距離約100粁、実際距離約160粁。ココダ、モレスビー間は図上距離約120粁、実際距離約200粁と判断され、計約360粁の踏破が必要であると考える。 問題は補給の確保であって、自動車道があれば問題はないが、駄馬道すらないと思われる現況では、人力担送によらなければならない。 いま第一線の給養人員約5,000人、主食の日量一人600グラム(4合)とすれば、支隊の補給日量は3屯となる。兵員一人が背負って運搬し得る主食の量は25瓩、一日の平均担送距離は山道であるから20粁を限度とする。 ブナを基点として200粁の地点、すなわちオーエン・スタンレーの鞍部付近に第一線が推進されたとして、その往復には20日を要し、担送する兵員自身の20日間の消費12瓩を控除すれば、一兵員が第一線に交付し得る主食は13キロとなる。
従って支隊の補給日量3屯を確保するためには、毎日約230名の担送兵員が第一線に到達する必要があり、20日行程を通算すれば、4,600名の担送人員を必要とすることになる。第一線がブナから360粁の地点であるモレスビー付近に推進されるならば、担送所要人員は主食だけでも実に3.2万人の多数に達するのである。 これに加えて弾薬その他の補給を考慮すれば、膨大な人員が必要であり、結局ブナから自動車道が推進されぬ限り、陸路進行は不可能であろう。
スティーブ・ブラード記 (田村恵子訳)
参考資料
防衛庁防衛研究所戦史室編『戦史叢書南太平洋陸軍作戦1:ポートモレスビー-ガ島初期作戦』1968年。朝雲新聞社刊。174-175ページ。
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