Australian War Memorial - AJRP
   
ホームページ | 案内 | データベース | 研究の成果 | 地図 | サイトマップ | 検索 | リンク集 | 謝辞 | 英文翻訳記事 | 最新情報 | English

戦争の人間像
ワウ

1943年初頭の時点で、日本軍もオーストラリア軍も、ワウに置かれたオーストラリア軍基地こそが、次の重要な戦場になるという認識を持っていた。このため、ラエの安達二十三第18軍司令官は、ワウ攻撃を岡部通少将が率いる岡部支隊に命じた。オーストラリア軍のカンガ・フォースによるゲリラ作戦に手を焼いていた日本軍は、オーストラリア統治前にドイツ人探検家が使った小道を通ってワウへ到着し、奇襲攻撃をかけようと計画した。ラバウルを1月上旬に出発した岡部支隊は、ただちに進軍を始めた。しかし草木が生い茂り、進軍に予想以上の時間がかかった上、急勾配で山砲が運べないという問題をかかえていた。

一方オーストラリア軍は、ワウに配備された守備隊に増援を送る計画を持っており、第17旅団が飛行機で送りこまれることになった。この兵員空輸作戦は、悪天候のため予定よりも遅れたにもかかわらず、1943119日までに将校28名と兵535名がワウに配備された。

124日オーストラリア軍斥候が多数の日本兵がワウに接近していると報告した。オーストラリア軍の大隊の多くはムボ付近に配備されていたため、接近する日本軍を攻撃する力はオーストラリア軍にはなかった。ポートモレスビーからの増援軍の緊急空輸は悪天候に阻まれ、ワウ基地は陥落寸前と思われたが、129日朝、雲が晴れ、800名余りの増援兵が到着した。彼らは間近まで迫っていた岡部支隊を、砲撃と戦闘機による攻撃で撃退した。岡部支隊はその後、1000名を越える死傷者を出し、多くの病人を抱えて敗退を余儀なくされた。

その後オーストラリア軍はワウ基地をさらに拡張し整備した。そしてそこから、ラエ、サラモアへの反撃作戦を支援したのだった。

プリントボタン


ワウ
関連リンク
概要
作戦詳細



戦争の人間像
Show details for  作戦概要 作戦概要
Show details for  作戦詳細 作戦詳細
Show details for   人物ストーリー 人物ストーリー
Show details for  テーマ テーマ
Show details for  地図 地図
Show details for  部隊 部隊



Click images to enlarge.
Lae–Salamaua



豪日研究プロジェクトは研究活動を休止いたしました。
お問い合わせは、オーストラリア戦争記念館の担当部門にお願いいたします。
Internet implementation by Fulton Technology and AJRP staff .
Australian War Memorial のホームページへ。