1943年1月にワウに対する日本軍の攻撃が失敗し、3月にビスマルク海の海戦で日本軍第51師団に甚大な損害が出ると、オーストラリア軍は将来のラエとサラモアに対する攻撃に向けてワウ近辺の強化を図った。
豪第3師団は4月にカンガ・フォースと交代し、ムボ方面とサラモア西方の山岳地帯にある日本軍陣地を圧迫した。6月にはアメリカ軍がナッソウ湾に上陸して前進基地を作り、作戦中の連合軍の補給路を確保した。
ラエとサラモアへの攻勢は、三方向から行われた。つまり、豪第3師団が日本軍部隊をサラモア方面へと引き寄せ続け、豪第7師団がマーカム渓谷方面からラエに接近し、豪第9師団がラエ北方の海岸に上陸した。
9月半ばに連合軍はラエとサラモアを日本軍から取り戻した。これら一連の作戦は、山岳地帯で激しい砲火を使用した点と活動困難な山地に部隊を送ることができた点で注目に値する。日本軍はこの地域からフォン半島のフィンシュハーフェンに退却するか、途中多数の落伍者を出しながらフェニステル・サラワケット山脈を越えて北方に退却した。
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ラエ・サラマウア
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