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戦争の人間像
玉砕 日本人兵士にとっての名誉の死とは

堀井少将の戦死後、南海支隊の司令官となった小田少将は、1943年1月20日に残りの各部隊に、ブナから西へ向かいクムシ河の河口付近まで退却するように命令した。このことは傷病兵の扱いを決定する必要性を意味していた。各指揮官が苦悩しているとき、続いて小田から、動けないものは残していくようにという命令が伝達された。小田の意図は、自分の部隊の一員を置き去りにするという苦しい決断を各指揮官が下さなくていいようにという配慮であった。

南海支隊の数少ない生き残りの指揮官であった小岩井少佐は、彼の回顧録のなかで、動けないものは去っていく兵士に向かって「明日の朝、敵が来るまでには、みんな自決いたしますから」と言ったと書いている。

小岩井は部隊に見捨てられ、自決する以外にない兵士たちの心理を次のように記述している。

投降を知らず、俘虜になることを死にまさる恥辱とした当時の兵隊には、この場合自決以外にとるべき道はなかった。即ち敵を攻撃する武器でおのれの肉体を殺すことが、国を護り家を汚さず、君には忠、親には孝であると考え、また,そうすることによって、おのれの生命(魂)は永遠に靖国の社に生きるものと信じていた。

従軍記者として南海支隊と共に行動した岡田誠三は、死んでいった兵士たちに対してもっと皮肉な見方をし、1946年に執筆された作品『失われた部隊』で次のように書いている。

ニューギニアの戦場で数多くの兵士が、「天皇陛下万歳」と叫びながら死んでいくのを見た。そこで、彼らの真情はどうなのかを考えてみた。しかし『山岳戦』(1944年に発表)のなかで言い得た事は、先祖崇拝を政府の基本的考え方に取り入れた独特の国である日本では、自分の周囲のために自分を犠牲にしようとする崇高な精神は、天皇を通して表現されるのである。私が人間性の研究を通して結論付けたのは、死を目前として「天皇陛下万歳」と叫ぶのは、死の苦しみと孤独を紛らわすための自己欺瞞の一例に過ぎないのである。

作戦においての役割は全く違っていても、小岩井と岡田の両者とも、一つの点では合意をしている。つまり、死に直面した兵士たちが、自分の払う犠牲は国家や地域社会や家族のためで、自分の死が無駄にならないと信じることで幾分気持ちが慰められたということである。しかし、小岩井の言うように、国家神社においての永劫性を信ずることで穏やかな気持ちになれたのか、岡田が主張するように、自分で自分をだましているのにすぎないのかを我々が判断することは不可能である。

田村恵子記

参考資料
防衛庁防衛研究所戦史室編『戦史叢書南太平洋陸軍作戦2:ガダルカナル-ブナ作戦』1969年。朝雲新聞社刊。589ページ。
岡田誠三「Lost troops」、AWM MSS0732, 37ページ。

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ブナの守備作戦
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小田健作
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