サラモア・ラエ (Overview text)
Module name: Campaign history (All groups perspective)
This page was contributed by Dr John Moreman (translated by Hajime Marutani)
サラモアとラエに対する作戦では、ニューギニア作戦における幾つかの最も困難かつ複雑な陸海空の作戦が行われた。 日本軍が期待した二度目のワウ攻撃は、1943年3月2日から3日にかけて、連合軍航空機がビスマルク海において兵員輸送船を撃沈せしめた事で打ち砕かれた。 1943年4月23日、オーストラリア軍はワウにおいて第3師団を結成した。歴戦の第17旅団がオーエン・スタンレー山脈を越えて岡部支隊を追撃し、日本軍の歩兵第六十六連隊による反撃を撃退した。民兵第15旅団がこの進撃に加わった。6月29日から30日にかけて、アメリカ軍第126連隊がナッソウ湾に上陸し、オーストラリア軍と合流した。サラモアは最終的に9月11日に陥落した。 ラエに対する攻撃は、アメリカ軍輸送機がオーストラリア軍第7師団をポートモレスビーからツィリツィリ(Tsili Tsili)まで空輸した8月に開始された。9月5日、アメリカ陸軍第504落下傘連隊と第2/4野戦連隊の砲手が、後に第7師団が前進を始める事になるマーカム渓谷のナドザブ(Nadzab)に空挺降下した。その間、第9師団はラエ北方に対する上陸作戦を敢行し、海岸線沿いをゆっくりと移動していた。抵抗は比較的軽微であり、9月16日にラエ基地は陥落した。 日本守備隊は峻険なフェニストル山脈を越えて撤退した。少なくとも十人中四人が飢餓や病気、疲労によって死亡した。 |
サラモア・ラエ: ![]() ![]() |