ココダ-日本軍の攻勢とオーストラリア軍の後退 (Overview text)
Module name: Campaign history (All groups perspective)
This page was contributed by Dr John Moreman (translated by Hajime Marutani)
日本軍はポートモレスビー攻略によって、パプアとニューギニアを完全に征服しようと計画していた。 1942年初頭におけるオーストラリア軍守備隊は、約二千五百名の陸軍と空軍の兵士で構成されていた。日本軍機が定期的に守備隊の基地を爆撃したが、3月になってキティホーク戦闘機が同基地の防衛のために到着した。 6月、パプア人部隊はオーエン・スタンレー山脈を越えてブナにいたる長くて苦しい旅をした。翌月、第39大隊がココダの山村に展開し始めたが、7月22日、日本軍はブナに上陸し、すぐにココダを攻略した。 8月、日本陸軍の南海支隊は、オーストラリア軍が既に手放していたイスラバへの攻撃によってポートモレスビーへの前進を開始した。オーストラリア軍の四個大隊は、撤退するまで四日間にわたって抵抗を続けた。一連の激しい戦闘は、ココダ街道に沿って行われた。 パプア人らは(日豪両軍の)補給物資を運び、オーストラリア軍の死傷者を搬出する事によってきわめて重要な役割を果たしていた。後者の役割におけるその献身と配慮によって、彼らは賞賛を得ると共に、「黒い天使(Fuzzy Wuzzy Angels)」というゆるぎない通り名で呼ばれる事となった。 9月上旬、日本軍はオーエン・スタンレー山脈の南端に近いイオリバイワに到達した。到着したばかりの旅団によって増強されたオーストラリア軍は、日本軍に抵抗するため、最後の分水嶺まで後退した。しかし9月14日、日本軍指揮官は、オーストラリア軍の抵抗によって激しく損耗していた指揮下の部隊を撤退させるよう命じられた。 |
初期のココダ戦: ![]() ![]() |