日本軍にとってポートモレスビー侵攻作戦の成功は、パプア地方とニューギニア地方を制覇し、ラバウルの日本軍基地を守るために大変重要であった。一方、オーストラリア軍も、ポートモレスビーからココダ街道を北へ向けてオーエンスタンレー山脈を越えて兵を送り、1942年6月にはココダの守備を確保した。
7月21日ブナに上陸した横山先遣隊は900名の歩兵と工兵で構成され、7月30日までにココダ占領を完了した。さらにそれに続いて、堀井富太郎少将の率いる南海支隊が侵攻し、オーストラリア軍はイスラバまで押し戻された。8月28日南海支隊はさらに追撃を続け、9月上旬にはポートモレスビーの灯が見えるイオリバイワまで達した。しかしこの時には、日本軍は長期の戦闘と補給不足によって戦闘能力が非常に低下していた。オーストラリア軍の司令官であったイーサー旅団長はイミタ分水線まで戦略的後退を命じ、日本軍の侵攻を抑えた。ガダルカナル島に上陸した米軍と戦わざるをえなかった日本軍は、9月14日についに堀井少将に対してブナへの撤退を命じた。
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南海支隊の侵攻
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