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吉川英治

仰ぎみたり神武の士魂
真なるものには拝
大君の国土にほほ笑み還る四英霊

横浜に鎌倉丸を迎へて 吉川英治

濠州にもいささかの文化性と武の何たるかを解するものはあった。いかなる人種といへどもつひに人間の真美と極致の聖武にたいしては、自己をあざむき得なかった。美なるもの、真なるものに向って、ああ、美なり、真なりと、拝キせずにいられなかった。
 月明シドニーの海から玉の如き英骨を拾ひあげて、これを日の丸の旗につつみ、自国の兵に儀杖させて、慇懃丁重に海軍葬をなしたといふミュアヘッド・グールド少将の心事は正にさうであったろう。わが四英魂のそれと、配下の濠州兵や濠国民と見くらべては、心中に複雑なる愛悶と懐疑を感じたであろう。なぜ濠州にはこの兵がないかと。なぜ濠国民にはこの真美がないかと。

 日本の神武はつひに、敵国の牙城艦船に現実の「目にもの見せむ」損害を与えたばかりでなく、彼の肺腑を刺し、彼の良心をも貫いたのであった。今日、敵濠州が国の名を以って、われにわが四英霊の柩を遠く送って来たことは、実に濠州そのものが、日本の聖戦を認めたことにほかならない。天地もうごかすなるわが盡忠の士魂が、当然、敵をも動かした実証である。

 鎌倉丸還る、鎌倉丸還る。その朝、横浜の四号岸壁にお迎へをした人々は、一人一人が一億人分の感激と痛惜をいだいていた。朝霧は冷ややかに、人も海も旗も、真白な海洋少年団の列も、声なき秋風譜の中に、近づく柩の御船を待っていた。
 大きく白十字をマークした船体が数米の距離まで近づく。その舷頭から太いロープが投げられた。水を切って手繰られたロープの輪が岸壁の杭に懸けられる。ロープは手と手の如く、船と陸とをかたく繋ぎ、雫をふりしぼりつつ太い力の線を宙に描いた。あたかもそれには、けふ喪の凱旋をして、大君の国土に?て還る英霊四士のよろこびがこもってゐるかのように見えた。
 本懐、満足。武人と生れて最高の思ひを遂げたこの日。白布につつまれた四つの小さい白木の御柩の内では、どんな微笑をなして居られるだろうかを思ふ。さはいへ、やがて花やその芳霊を戦友の胸に捧げ持たれて下船されるあとから、いとつつましやかな喪服の人々の歩みを拝めば、中馬大尉の御遺族やら、松尾大尉のお身寄やら、お顔も知らず名もわきまへぬが、うつ向きがちに、歩歩、はにかましげに、出迎への列に目礼しながら行く姿の、何といふ謙虚、質朴なことか。誇るなく、求めるなく、ただありの儘になすことをなしたとしている日本の母、日本の父、日本の弟妹たちであった。

シドニー要港司令官ミュアヘッド・グールド閣下。濠州敵国諸君にもいふ。
日本国民として、このたびのことは、お礼の意を表する。よろこびを歓びといふに日本臣民は決して卑屈ではない。
 しかしこの歓びは、敵国濠州のためによろこぶものである。否、世界人類のために祝福するの意を以てするものだ。なぜならば卿等は日本と戦ったために、日本の聖戦の意義を悟ったであらう。卿等の味方と恃む国々の虚構宣伝のいかに唾ばかりとばしている獣の咆哮に過ぎないものかもよく比較されたであらう。聖戦にあらざる陣営から神武の将しはあらはれない。正義にあらざる戦ひに真美の光を持つことはできない。惜しむらく、グールド少将閣下、あなたのいふが如き真の勇士を、あなたの軍隊に求めらるることは、現大戦下の濠州の立場において、無理といふものではないか。
 更に、わが日本歴史にある一話をおつたへしよう。かつて足利高氏(ママ)いふ一逆臣は、忠臣正成を湊川に討って、その首級を楠氏の夫人と遺孤に送り、以て、楠氏の忠義を弱まらせんと謀った。しかしその夫人が高氏に返したものは、以後十数年にわたる聖戦と正行、正時などの遺孤をそだてて次々に戦場に送ることであった。
 グールド少将閣下。あなたは惜しいことをなされた。もしあなたがわが四英霊に供奉して、せっかく鎌倉丸と共に横浜まで来られたなら、更に、今朝の横浜岸壁を見せてあげられたものを。そして、英霊四士のごとき芳魂は、いかなる国土と、いかなる父母とから初めて生れるものであるかを、なほ眼に見せて上げられたものを。
あなたが、濠州の一将であるからとて、そのまま抑留するが如き日本ではない。

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