Australian War Memorial - AJRP
   
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オーストラリア人と日本人の戦争観

このサイトは、オーストラリア戦争記念館の文書資料を用いて、オーストラリア人と日本人の戦争観を探ることを目的とする。このサイトは、オーストラリア人に関する一つの章と日本人に関する二つの章から成っている。オーストラリア人の章は第二次世界大戦を戦ったオーストラリア人兵士の日本人観を1980年代に行われた退役軍人とのインタビューの口述記録を通して概観する。当初のインタビューの記録は、キース・マードック音声記録の一部となっており、オーストラリア戦争記念館で研究者に公開されている。この章は、オーストラリア人が抱く日本人観の全体像を示すわけではないが、興味深い諸例を提示している。この章は、戦前の日本人観・日本兵の戦闘能力・日本軍の残虐行為の衝撃・日本軍による捕虜の処遇・原子爆弾の使用・戦後の日本人観の六つの部分より構成されている。

日本人の二つの章は、互いに大いに異なる視点を持つが、ともにニューギニア戦についての個人的な記録である。『田村義一日記』の抜粋は日本軍の一兵卒の生活を垣間見せる。田村の日記は1943年4月に始まり、彼が戦死したと思われる同年12月まで続いている。日記からは、この期間の田村の希望と所感・ジャングルでの生活・戦争観と死生観を読み取ることができる。日記は近年オーストラリア戦争記念館の寄託となったが、現在は日本の遺族の元に返還されている。

田村の日記に対して、『南十字星』はニューギニアの日本陸軍第18軍の参謀長であった吉原矩中将が記述した作戦記録である。ここでの主眼はニューギニアにおける日本軍の作戦についての「大局」を描写することである。軍事作戦のみならず、時にパプアニューギニアの原住民との関係や動植物、自然一般についても吉原は詳述する。しかし何といっても、3年以上に亘る第18軍の戦闘記録が本書の大部分を占めており、日本の司令部がどのように戦闘の状況と経緯を把握していたかを通観することができる。本書を、より詳細に記録され広く一般に知られたオーストラリア軍とアメリカ軍の作戦記録と比較して読むと非常に面白い。

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Click images to enlarge. ダーウィン港に停泊するオーストラリアの病院船「マナンダ」。1942年2月19日に始まった日本軍のダーウィン空襲の際、日本軍の爆撃機は「マナンダ」を病院船とわかっていながら標的にした。4ヵ月後のミルン湾の戦いで日本軍の巡洋艦「天竜」は「マナンダ」にサーチライトを当てたが、湾内の他の連合軍の船舶を攻撃しながらも、「マナンダ」には手を加えなかった。稀ではあったが、後者のような日本軍の行動を目撃したオーストラリア兵の中には日本軍に対する固定観念を改める者もいた。
AWM 303581



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